2006年10月30日
いつの時代も教育は問題なのだ
[教育全般 ]
教育はいつの時代も問題として挙げられている。昨今の政治では教育再生が盛んに謳われている。しかし、20年前も60年前も教育は問題だったわけだ。20年前には、激しい受験競争により子供の個性が奪われるといわれていたし、60年前には帝国主義から民主主義への社会の大規模な変化と共に教育も問題視されていたわけである。これ以外にも挙げようとすれば枚挙に暇がない。それらの問題は解決したのだろうか。いや、そんなことはない。
60年前から歴史を中心として何を教えるのかという問題はそのままだし、20年前からのどうやって教えるのかという問題も、現在での詰め込みだのゆとりだのと全く理論的でない議論がなされていることを見ると、解決しているとは言いがたい。そういった現状を見るに、教育が問題視されてるのは、要は社会全体として他に大きな問題があるかどうかといった濃淡のレベルなだけなのではないかという気がしてくる。
社会問題として出てくるのは、大枠としては経済か政治(外交)、教育等であり、極論してしまえば、不況か、戦時状態か、過去を懐かしみ未来を憂うのかという3つの濃淡である。
現在は、長かった平成不況も終わり、北朝鮮は何かと騒いでるが日常生活ではとくに気にする必要もなくなったため、自然と教育に視点が集まっているだけではないだろうか。そして、その他の問題は、不況にしろ戦争にしろ問題を問題として簡単に知覚できるがゆえに、問題でないことも知覚しやすい。しかし教育はなんとなくぼんやりした存在のため、問題視したときに納得観がある。また、教育の場合にはほとんどの人にっては責任を受容する側、つまり教育者ではないことから自分の問題とは考えなくてすむ。また、誰もが被対象者であることから、被教育のプロであり、何か言う権利を持っていると認識しやすい。
つまり、
「昨今の様々な目を背けたくなる問題は、なにもかも教育のせいだ」といったときに、それを積極的に否定する材料もないし、自分は教育者側にまわる事もないため否定する必要もない。そのため、教育が問題だといえば、「そうだよね」というように納得感を得やすくなるのではないだろうか。
教育に問題がないと思っているわけではない。むしろ、積極的に問題があることも知っているつもりだし、それに対処しようとして努力している人もたくさん知っている。その人たちは本当に真摯に問題に当たっている。目を背けたくなる現実もあるだろうが一歩一歩解決させようと努力している。そんな人たちのことを考えると、なんとなく問題だよねという現在の風潮が非常に気にかからざるを得ない。
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