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人材育成を研究している橋本諭のブログです。eラーニング(e-Learning)や人材育成、インストラクショナルデザインを専門としており、教育工学、学習科学、OJT、ワークプレイスラーニングの研究しています。eラーニング専門家のためのインストラクショナルデザイン、企業内人材育成入門を上梓。

2006年09月07日

eラーニングの覇権はシステムが取るか、コンテンツがとるか

[eラーニング ]

自称eラーニングの最大手のネットラーニングの岸田社長が、eラーニングの現状と展望:またまた方向違いの議論というエントリーにおいて、日本eラーニングコンソシアムの小松会長もコメントしている「eラーニングは業務システムに吸収される?:ITpro」に対し「方向違いだ」と疑義を唱えている。

パッと見ると、本ブログがいつも注意を受ける喧嘩を売っているだけのように見える(もちろん、そんなことはないので、詳しくは原文を当たってください)が、その影にはeラーニングにおける力関係が見え隠れしていて面白い。傍から少し考察してみたい。

まず、ITproにおいては、eラーニング白書 2006/2007年版からeラーニングが普及してきている現状と、その背景の説明や小松会長によるコメントを踏まえ、業務システムと統合されていくのではないか、また、業務システムとして統合されることはeラーニングに再度の投資を促すことになり、未来にとっては良い事なのではないかと指摘している。

一方、岸田社長は、


くりかえし述べてきたように、情報と知識はちがう。情報は、検索しててに入れることができれば共有できる。しかし、知識の共有は、教育と学習によって可能となる。スキルも同じだ。

この「業務システムの一部になる」という論点は、スキル教育や判断力教育など、個別教育としてeラーニ(ン)グが強力な役割をはたしている分野をまず見落としている。

というように、業務システムの一部になるということに対し、情報と知識は違い、業務システムの一部としてでは教育の機能は果たせないという主張をしている。※1

また、


業務システムのなかで活用されるeラーニングも、eラーニングの多様な活用として、なくはない。しかし、eラーニングの主流ではまったくない。

見当違いの議論が影響力をもつとは思われないが、過去に見当違いの主張をしてきた人たちの反省はあるのだろうか。

というように、見当違いな発言をしてきた人たちへの強いメッセージも発している。

このような発言からは、eラーニングが過去に歩んできた道のりを眺めているかのような印象を受けた。
eラーニングの歴史を概観すると、システムとコンテンツのせめぎあいの様相が見えてくる。さながら、1980年代のIBM対マイクロソフトに代表されるハードとソフト論争、1990年代のOSとアプリケーションの論争、2000年代のインフラ対Webサービスというように、土台とするものとその土台の上にのせるものとのせめぎあいが見えてくる。eラーニングにおけるシステム対コンテンツも同様の戦いがある。

eラーニングにおける戦いは、その他のそれと同様に土台であるシステムから始まった。
IT革命と騒がれている時期に、巨額の投資を含むシステムの開発が盛んになり、そこではeラーニングという名の下にLMSなどの投資が先行した。いわゆるIT系で有名な企業はこぞって自社のLMSの販売に邁進していた。しかし、システムが導入されてみると目立った効果が現れないというような不満も業界に充満し始めた。もちろん、ICTが現在の技術水準に遠く及んでいなかったという現実もある。しかし、教育や研修としてどのようなことが必要なのか、どのような運用をしようと考えているのかということとは無関係にシステムを売りつけたという面があることは否定できない。

その後、モバイルやユビキタスといったようにシステムとしての広がりと共にコンテンツに出来るリソースが増えたこともあり、また、eラーニングのコンテンツを使用する事に拒否反応が示されにくくなったことによりコンテンツ側が市場を牽引しつつある。※2

さて、論争の中身についてみていくと、確かにITproの指摘通り、米国などでは業務システムに統合されるという方向性がある。これは、LMSというシステムとしての機能はERPなどの業務システムのそれと比べると簡易なものであることから、システムの機能として統合されるという面がある。また、その場合にはある程度の資金や予算を集めることが出来るため、LMSとしても機能拡張がしやすいという面はある。

また、岸田社長の意見である「情報と知識が違う」という面も確かにその通りである。学習しようと思っていれば、現在の環境(インターネットなどによりリソースに触れやすい)であれば誰でも学習できる。しかし、誰もが何もかもひとりで学習できるわけではない。その中ではどうやって判りやすくしていくかという努力は不可欠であるし、教育という要素がなくなるということは想像しにくい。

このように、両者とも間違ったことを言っているようには感じない。しかし、一度市場から退場しかけたシステム側が再度盛り返してきたということは十分に考えられる。

eラーニングが過去と同じような道を歩むのか、それとも新たな一歩を歩むのか、この論争の中にその鍵がいくつか眠っているように感じた。

※1
図らずも、(本人はあまり好きではないと述べている)古典的なID(インストラクショナルデザイン)の理論的バックグラウンドを支持してくれている。
※2
これは、eラーニングワールドなどの出展社の動向を見る限り明らかだろう。

投稿者 橋本 諭 : 2006年09月07日 01:15 このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマークへ追加

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