2005年08月26日
生徒のために死ねない人間は、プロの教師ではない
[教育全般 ]
「君たちは生徒のために死ねるか」
これは、ワタミの社長が私財を費やし私立の中高一貫の「郁文館学園」を再建したさあ、学校をはじめよう―子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日の一部である。
ワタミを20年の間に、一部上場企業にし、日本一の居酒屋に育て上げた氏の経営手腕が学校経営に生かされていく様が描かれている。
氏によれば、教師とは「聖職」とあるとしている。
しかし、現在の教師は、その聖職というのを、既得権益として捉えているというのだ。確かに、現在の先生には競争原理はほとんど働いていない。高等教育ではFDなどといわれていて久しいが、そんなことが言われること自体世の中の厳しさからかけ離れていることを示している気がする。
では、何が聖職というのか。それは、タイトルで書いた、生徒のために死ねるかということだ。もし、自分が生徒のために死ねるかといわれたら、NOと答えざる得ない。しかし、そこで躊躇なくYESといわれるような人間だから聖職といえるというのだ。確かに、そのような先生がいれば、聖職だといえる。しかし、そんな先生は、日本中に何人いるのだろうか?
競争原理を導入するといわれれば、猛反発が起こるだろう。なんだかんだ言い訳をつけて、抵抗勢力になるに違いない。公務員という立場を盾にしてくるだろう。僕はそんなことは、どうでも良いと思う。公務員でも良いし、給料が高くてもいい。しかし、本当に生徒のことを考えているのかどうかは是非追求してもらいたい。それがなくなったら、教師を辞めてほしいと思う。
学校経営に経営を持ち込むのかどうかというのは今後議論がされるだろう。しかし、財政が切迫してこれば、否が応でも経営は導入される。COEやGPが行われるのは、そのひとつと考えられる。
もう一方、教育を受ける生徒の大半は、卒業後否が応でも競争原理の中に送り込まれる。それを止めることができない以上、競争原理に居ない人間が何を教えることができるのかという面もある。
教育業界にリストラが起きる。教育機関が倒産する。すべての学校が全入になる。そんな時代を前に、改革に突っ走る事例として、また、未来の一部を垣間見るという意味で読んでみる必要があるだろう。
ひとつだけいえることがある。渡邊美樹という人間は、教育に関して決して甘くはない、本気だ。
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